Water Margin (2)
1108 年 11 月
外では雨が降り注いでいる。楊志は、禁軍府内の自室で渡された書類を読んでいた。楊志の軍内での職位は上級の将校ということになっている。だから禁軍府に自室を持っている。一兵たりとも兵を指揮したことの無い将校。
楊志は間諜だった。晁蓋将軍の直属である。
書類は主に南の情勢についてだった。南は塩の他に茶の闇の流れが大きい。茶は塩よりも私営の流通が多い。そして江南など役人の腐敗が中央に負けず劣らず酷い。結果として闇にかなりのものが出回っている。
これらの南の闇塩闇茶に大きな力を持っているのが掲陽嶺の李俊であろうと考えられていたが、細かい物や人の流れについては判っていないことが多かった。
簡単に言うとこんなところだった。薛永などが調査の中心になっていると言うが、お世辞にも調査が進んでいるとは言い難い。薛永についてはあまり知らない。ただ晁蓋が送りこんだ男だ。それなりの腕があるのだろう。それだけ李俊は用心深い男だということだ。
「楊志、晁蓋将軍がお呼びだ」
公孫勝。晁蓋の副官。長身で軍袍の上からでも筋肉が見える。堂々たる偉丈夫。もう一人の副官呉用は部隊と共にいることが多い。
晁蓋の執務室に向かう。廊下で樊瑞とすれ違った。遼に入っていると聞いていた。任務を終えたのだろうか。
「樊瑞じゃないか、遼での任務は終えたのか」
「いや、まだだ。どうしても晁蓋将軍の直接の判断を仰ぐ用が出来てな」
「では、すぐに北に戻るのか」
「そうだな。明日には開封府を出て大同に戻ろうと思っている。お前こそ、なぜ禁軍府にいるのだ」
「西夏での任務は終結した。今から晁蓋将軍より新たな任務を受けてくるところだ」
「そうか。また引き回されるか。あいかわらず晁蓋将軍は人使いが荒い」
樊瑞は口の端だけで笑う。感情をあまり表に出すことは無い。しかし本当は感情豊かな男だ。付き合いは古い。武挙を通ったのも同期。晁蓋の下に引き抜かれたのも同期だった。樊瑞に頷き返す。樊瑞は黙って通り過ぎてゆく。
晁蓋の執務室。晁蓋は一人で書類を読んでいた。公孫勝以上の堂々たる偉丈夫。間者の頭というのにはとても見えないな、と会う度に思う。確かに、対外的な立場は将軍だった。三万の軍も抱えていた。しかし晁蓋の力の源泉は一千にも達する手の者達だ。
「楊志か。まあ座れ」
席に着く。
「西夏での任務の報告書は読ませてもらった。いい仕事をしたな。早速だが、薛永の調査資料はもう読んだな。お前には次は南に行ってもらう。」
晁蓋は書類に目を通しながら話している。
「その薛永がいるのではないですか」
「薛永は正体が割れている気配がある。それとな、この際だから言うが、薛永では李俊を探るには力不足だ」
晁蓋の話し方はいつもこうだった。楊志は返事をしない。
「李俊を今すぐ追捕したいところではあるが、それはいくらなんでも無理であろうな。証拠を残すようなこともしていないであろうしな」
晁蓋は書類から顔を上げた。
「本当は宋江にお前を当てたかったのだがな。こちらはもっと厄介だ。戴宗という男は知っているか」
「宋江の所の小悪党ですね、江州の牢役人の出の」
「そうだ。その戴宗が開封府と済州を今頻繁に往復している。恐らく塩だろう。それだけならまだいいのだがな。蔡京殿の屋敷に出入りしている気配がある。これについてはまだ確証を得られている訳ではないのだが」
「つまり、戴宗を通じて宋江と蔡太師が繋がっているということになるのですか」
「確証は無いが、恐らくそういうことだろう。蔡京殿からは、四川の闇塩の取締りを強化するようにという指示があった。これまで闇塩の取締りなどに蔡京殿が口を挟むことは無かったのだがな。それもかなり厳しい調子であった」
「それは確かに、厄介ですね」
「そうだ。だから宋江の闇塩に関しては探索の手を一度全て退いている。何しろ蔡京殿は国家の宰相だ。下手なやり方では手を出せん。だからまずは南の李俊だ」
「しかし、如何に蔡太師が関わっているからと言って、宋江の闇の塩の探索から手を退くというのは宋江の思うつぼなのでは無いですか」
「確かに表面だけ見ればそうだ。だがな、俺の読みでは宋江と李俊は繋がっている。宋江が主に力を持っているのは青州の製塩所だが、宋江の道を流れる塩は明らかにそれだけではないな。解州にも手を伸ばしてきているが、それはこちらから積極的に潰しにかかっている。この間は清河の西門慶を潰した」
晁蓋のこの熱意がどこから来ているのか。楊志には分からない。国家への、皇帝への忠誠か。楊志はそういう思いとは無縁だった。晁蓋の下で働く理由は、ただそれが面白いからだった。組織や人の流れに潜入して、工作をする。そんなことが楊志は好きなのだった。
「どうした、黙り込んで」
「いえ」
「つまりだ、李俊の塩の一部が何らかの形で宋江の下に流れている可能性が高いと俺は読んでいる。李俊を潰せばおのずと宋江も潰せることになる」
「薛永の報告書にはそういうことは書かれていませんでしたね」
「そうだ。それがお前を南に遣る理由だ。今の話はまだ俺の読みでしかない。公孫勝などは南京応天府の動きを気にしているが、それについても確証が出ているわけではない。この件については優秀な男が必要だ。ただの間諜では無くその場で判断して動ける男がな。私自身かあるいは公孫勝を潜入させたいというのが本音ではあるが、私も公孫勝もこの開封府を離れるわけにはいかん。お前に並ぶ男として、樊瑞などもいるがこれも北から外せないな。となるとこの任務に相応しい男は楊志、お前だけだということになる」
「話は分かりました。それで、私の任務はまずどこまでということになりますか」
「まずは探索だけだな。李俊の闇の塩と闇の茶、これらの道の実態を調べ上げてくれ。どういう手段で物資が流れているか、どのような人物が関わっているのか。まずは探り出すだけでいい。それを見て私がその後の対応を決める。それからな」
晁蓋は一度言葉を切る。
「人を使え、楊志。お前は一人で動くことにこだわりすぎる。樊瑞などは実に上手く人を使うぞ」
「こだわるというようなことは」
「いや、こだわっているな。確かにお前には一人で動く素質がある。だが人を動かす素質も同じくらいかそれ以上にあるように私には思える。南では人を使った調査をしろ。李袞をお前の指揮下に入れることとする。李袞のことは知っているな。上手く使って見せろ」
李袞は、間諜だけでなく、暗殺を為す者たちも指揮下に入れている。正直なところ一人で動きたかった。だが晁蓋の言葉は絶対だ。それに楊志は晁蓋の目を信用している。楊志は今まで一度も暗殺を為したことは無い。ならばやってみよう、それも面白いではないか。
「仕事がどういうものか分かりましたよ」
「では行け。準備を始めろ」
「明日には開封府を出立しようと思います。まずは杭州に入るつもりです」
「ずいぶんと早い出発だな」
「私は間諜ですが、軍人です。行けと言われたらすぐ動けるのが軍人というものだと思っております」
「よい心がけだ」
楊志は晁蓋の部屋を出た。まずは長江の物の動きを見るところから始めよう。李袞への指示は、杭州に来い、まずこれだけでいいだろう。李袞はそれで動ける男のはずだ。
外を見ると、雨は止み、空は晴れ上がっている。