Water Margin (1)
1.Kaifeng Midnight
1108 年 9 月
夕刻、秋の空。東京開封府。まるで魔術の都。戴宗はこの都市が正直あまり好きではない。宋の国都。永済渠と通済渠の結節点。水上運行の一代根拠地。どこからこれだけの人が湧いてくるのか。うんざりするほどの人の数。外城のさらに外にも広がる街並み。
歩く。馬に乗ることはあまり無かった。というより、単に自分の足で歩き、走るのが好きなのだ。走る速さで人に負けたことは無い。普通に歩いていても、並みの人間の小走りよりは速い。
生まれは南の江州だった。牢役人をしながら、つまらない小遣い稼ぎをしていた。それがどこでどう宋江の目に止まったのかは分からない。気付けば、宋江の配下だった。
あの頃の宋江は淮水の辺りを根拠地にしていた。今は北に力を持っている。李俊辺りと何か取引をしたのかもしれないが、細かい事情は知らない。
指示された宿は、封丘門の近くだった。この近くには行きつけの酒場がある。食事はそこで取った。戴宗は豚の肉より羊の肉が好きだった。開封の雑踏はあまり好きではないが、この店の羊の肉の饅頭はそんなことも忘れさせるほどの絶品だ。ただ、南京応天府の張青と孫二娘の店には及ばない。
宿。ここで待っていれば、蔡京からの使者が来ることになっていた。記憶を手繰る。
鄆城の屋敷。宋江から直の呼び出し。珍しいことだった。指示は石勇を経由して来ることが多かった。
「そろそろお前にも働いてもらおうと思う」
宋江の喋り方は、こうだった。
「林冲にばかり辛い役目を負わせるわけにもいかぬのでな」
林冲は今、二竜山の首領だった。二竜山はありふれた山賊の塞を装っている。しかしその正体は闇塩の運輸と防衛の一代根拠地だった。林冲はその運営の総指揮を執っている。
「それで、私の役目というのは、如何なるものでしょうか」
正直、宋江の言い方には若干不愉快な思いを抱いた。戴宗は戴宗で宋江の闇の物流を影から支えている、という思いがあった。
「如何に二竜山があると言っても、塩の密売には危険が大きすぎる。晁蓋はしつこい男だ。取り締まりは厳格を極めるからな。西門慶すら捕らえられたのだ。あの西門慶がだ。取り締まりには禁軍の一部すらもが動いている」
晁蓋は禁軍の将軍だが、巡検などにも力を持ち塩の密売への探索を続けていた。また巡検などとは違った独自の調査力を持っている気配もあった。
「塩の専売は宋という国を支える大きな力です。当たり前のこととも言えましょうな」
「まあ、それはそうだ。だがそうも言ってはいられん。闇塩が生み出す利は莫大なものだ。その闇塩を守るために二竜山を作ったがそれだけでは足りない。結局のところ、二竜山で守れるのは解州と青州の塩の入り口だけだな。そこでだ。朝廷の力を使おうと思う。俺のような人間が言うことではないのであろうが、今の朝廷は腐りきっている。蔡京は新法党なんて名乗ってやがるが新法を私益の為にしか使っていないな。そこにつけ込む隙があると見た。簡単に言えば、蔡京に塩の道を守らせる。そして十分な金を奴のところに流す」
「大分大雑把な話ではありますね」
「石勇を通して蔡京に話は流してある。それなりに好感触と取れそうな返書が来ている」
「ではその話を細かく詰めるのが私の仕事という訳ですね」
「そうだ。開封にお前が入る時期などは追って連絡する」
そして戴宗は開封にいる。少し林冲の事を考えた。気付いたら眠っていたようだ。人の気配で目覚める。
「入れ」
入ってきたのは、小柄な男だった。
「蕭譲と申します」
「蔡京の手の者だな」
「左様にございます」
卑屈なまでの謙譲。いい印象では無い。
「蔡攸様がお待ちでございます」
「蔡京殿では無く、蔡攸殿か」
蔡攸は蔡京の息子だった。
「事情は蔡攸様が御説明なさいます」
「そうか。では案内を頼もう」
開封の街。深夜。人波は消えない。まだ空いている酒場もある。雑然とした街並み。入り組んだ街路。この入り組んだ道も戴宗が開封を好きでない理由の一つだ。戴宗は西京河南府のすっきりとした格子状の街並みが好きだ。
そんなことを考えている内に気付けば内城の中だった。ここまで来ると急に建物なども大きいものが増えてくる。
蔡京の屋敷。裏門から入る。奥の部屋。
「戴宗殿がお見えです」
「通せ」
蔡攸だろう。いくらか沈んだ声だ。
蔡攸。整った顔立ちというのはこういうのを言うのであろう。しかし目が放つ輝きは違う。目からは力を感じられる。欲望という炎が目を通して輝きを放っている。それも尋常のものではない。
戴宗は蔡攸のことを信頼できる相手だと直感的に感じた。欲の強い人間は、利益を保障できるかぎり、信頼できるのだ。
戴宗は膝を着き、俯いた。
「顔を上げろ、面倒な礼儀などいらぬ。我らはそのような関係ではあるまい」
「戴宗と申します」
蕭譲は部屋の片隅で待機しているようだった。
「蔡攸だ。宋江の手の者から話は聞いている。父とも話はつけてある。この件については私の一存ということになった。宋江は具体的に話を詰めて来いと言っているのであろう。お前はどれ程の裁量を与えられているのだ」
「蔡京様の庇護が得られるというのであれば、如何なる条件でも良いということになっております」
「そんなものなのであろうな。まあ私にしてみれば見合うだけの金が入ってくればいいのだ。ただな」
蔡攸は言葉を切る。
「取り締まられる側のお前達なら分かっているとは思うが、塩の密造の取り締りは専ら禁軍の晁蓋がやっている」
「それは存じております。はっきり言いまして、私共からしますと、強敵ですな」
「そうか。その晁蓋だがな。一言で言ってしまうと青い男なのだ。金が通じない男だ」
「それは骨身に染みております。晁蓋やその配下の者を買収しようとしたことは一度や二度のことではありません。全て失敗しております」
「だが、私としても宋江との繋りを持っておくというのは悪い話ではないのでな。策は用意してある。晁蓋の目を別のところに向けさせればいいのだ。」
「手は用意しているのですか」
「無い訳では無いな。面倒ではあるが。四川にも闇の塩の流れがある。そちらの取り締りを強化させるのだ。それなら宰相の権限でどうにかなる。そうなればお前達の塩の道も楽になるだろう。逆に言えば今私達に出来ることはその程度だな」
思考を巡らす。四川の岩塩の規模。それなりのものだった。彼の地の闇の塩がどれ程の規模のものかは知らないが、やはりそれなりのものであろう。蔡京に支払うべき謝礼。蔡京の手がどれ程の効果を見せるのか、やってみないと分からないという所がある。蔡攸に言いはしなかったが、宋江からは収益の四割以上は渡せないと言われている。宋江の所に一度話を持ち帰るべきか。
「考えているようだな。確かにやってみないと分からないところではある。そこでだ。まずは利の一割を我らに納めるというところでどうだ。それならそこまで大きなものでは無いし、効果が出るなり新たな守りを我らが講じられるようになったところでまた利の話をすればよい」
一割というのはかなり安い。
「お前の考えていることは手に取るように分かるぞ。一割というのは安すぎて逆に信用ならないというのであろう。確かに私は欲の深い人間だ。芸術などに欲を隠そうとする父と違って私はそれを否定しようとも思わん。だが私には思慮もある。例え大きくなくても取れる所から取ってやろうという思慮だ」
これが国を代表する士大夫であろうかという話し方ではあった。しかし現状この蔡攸の手に頼らねば塩の道が危機に陥いるというのも確かなのだ。ここは乗るしかない。そう判断する。
「まさかそのようなことは」
「つまらぬ礼儀はいいと言ったはずだぞ」
「正直なところを申しますと、有り難いところでございます」
「そうか。では詳細について話そうか」
戴宗をして嫌な気分にさせる貪欲さだ。国政の一線に立つ人間とはとても思えなかった。
開封府の夜が更ける。腐臭を放つ魔術の都。