April 2009
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花一揆 (3)
命鶴丸との稽古は気持がいい。物心ついた時から観世丸は一忠のもとで田楽猿楽の稽古を重ねてきた。だからもう稽古を始めて何年か経つのだが、去年の冬から始まった命鶴丸との稽古程楽しい稽古は無かった。命鶴丸は謡はあまり得手では無かったが、舞いとなると観世丸でもはっとするものをすぐに見せるようになったし、二人で舞っていると、二人が二人では無いなにか別のものになるかのようなのだ。 でも、命鶴丸と俺は友達じゃない。芸事については話すことがある。でも、それ以外のことは話さない。二人が二人で無いなにかになる、というときも、何か壁がある。観世丸にはそう感じられる。そして、命鶴丸とは仲良くしてみたい、友達になりたい。そう思うのだ。 何故そこまで気になるのか、自分でも分からない。ただ、気になるものは気になる。...
March 2009
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花一揆 (2)
夏の暑い盛りの夕方、導誉は、特に何もしていなかった。一応公家と武家の繋ぎ役、というようなことになっている。本拠ということになっている勝楽寺の城は配下の者に任せて、自分は京の屋敷に滞在していることが多かった。配下の一万程の兵も、息子の秀綱に面倒を見させているという格好になっていた。それで自分は、京を派手な直垂などを着て軍勢を引き回して練り歩いたり、屋敷で一忠達の田楽の稽古などを見ていたり、あるいは連歌に明け暮れていたりするのだった。京の導誉の屋敷は、実質一忠達の本拠となっているのだった。 余人は、導誉が派手な軍勢で練り歩くことで京の治安が維持できているだとか、田楽に公家を招いたりすることで公家との関係の維持に務めている、などと言ったりするのだが、別にそういうことでは無い。単にそれが楽しいからやっているというだけのことだ。...
花一揆 (1)
花一揆
第一章 -梅-
足利尊氏には信頼できる力が無い。京極導誉はそう思っていた。導誉自身は尊氏から信頼されているのだろう。しかし導誉は目に見える軍事力という形では力を持ってこなかった。それが導誉の生き残る術だった。それに導誉にさほど戦が得意ではない。好きでもない。 高師直、高師泰の兄弟はどうか。幕府の直轄軍ともいうべき武士を率いているし、尊氏から信頼されてもいる。しかしその師直は幕府内では足利直義に押されて身動きが取れなくなっていた。 後醍醐の帝が死んで、もう六年も経っているのだ。南朝との争いは、小競り合い程度のものになっていた。そうなると、政務を担当している直義の力が増すということになっきた。何故だか分からないが、直義と師直は仲が悪い。馬が合わないというやつなのだろう。好きだとか嫌いだとかには理由など無いものだ。...
February 2009
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Water Margin (13)
1110 年 9 月 もう、この山塞に入って 2 ヶ月が経った。梁山泊。山塞がどういう構造なのかも見えてくる。王倫という男が頂点にいる。しかし実際に山塞を動かしているのは宋万と杜遷という男だ。宋万、杜遷。この二人は一体だった。朱貴がこちらに転んだ時点で杜遷もこちらに転んだ。 朱貴は宋江とも会談した気配だった。闇の塩の流れに自らという楔を打ち込んだのだろう。今は塩のことにも興味は無い。宋江にも。 今は、林冲の為にこの山塞を奪ればいい。林冲に何故ここまで光を感じるか。考えもしない。それでいい。 杜遷は山塞の裏方を一手に背負っていた。国に例えれば民政のようなことをしている。宋万は軍の統括だった。 朱貴の推薦という形で山塞に入ったので、王倫からはある程度の信頼を得ていた。杜遷の下の事務官のような役割を果している。...
Water Margin (12)
林冲に話を持ち掛けた時点で全ての準備は出来ていた。林冲は劉唐を出すと言った。劉唐という男は特に知っている訳では無い。 戴宗は林冲自身に出てきて欲しかった。林冲は戴宗の策を聞いて、自分の考えをそこに混ぜた。それで、林冲では無く劉唐になった。策そのものに変化があるわけではなかった。劉唐との打合せは林冲に任せた。劉唐は、林冲の隊も含めた騎馬隊の調練に出ていたのだ。 二竜山から済州まで自分の足で駆けた。走る速さでは誰にも負けはしない。 済州、梁山湖、その東岸。朱貴の店。来た。今、ここから我が夢が初まる。 「朱貴殿ですね。柯引と言います」 ここは、偽名を使う。とっさの判断。 「如何にも私が朱貴だ。なんですかな。飯を食いに来たという様子には見えませんな」 朱貴、鷹揚な話し方、派手な服。 「単刀直入に言います。私を梁山泊に入れて欲しい」...
Water Margin (11)
1110 年 7 月 二竜山。林冲と正対するのは実に二年ぶりのことだ。 「久しいな、戴宗」 「ああ。ここではよろしくやっているようだな」 「そうだな。塩の道など細かいことは全部朱武がやってしまうし。軍も自分で見ているのは騎馬隊の二百だけだ。あとは関勝だな」 「軍か。賊徒の山塞が立派になったものだな。秦明という将軍の執拗な攻撃を何度も跳ね返していることについて、各地の顔役もお前を賞賛している」 「まあ今の俺の仕事は見えやすいというところはあるな。しかし、塩の道についてはお前一人で二竜山一つと同じような働きをしているではないか」...
Water Margin (10)
1110 年 6 月 抗州の城郭にも大分慣れてきた。南京応天府は李袞に任せた。抗州には一人。抗州では塩を扱う店を一つ一つ調べるという地道な調査をやっている。そういう調査は、一つの視点から続ける方がいいのだ。それで、違いを見極められる。 樊瑞などは、多人数で同時に動きを見てその中から異変を探す方がいいと言う。考え方の違いなどは、あって当然だろう。いずれにせよ、結果を出せればいいのだ。 気になるのは、歙州との物流だ。抗州と歙州に何か繋がりがある。そういうことが分かってきた。ただ、それが何かはまだ見えていない。 李袞には張青と孫二娘の動きを封じさせた。すると、開封府で塩の値がかなり動いた。この辺りのことは公孫勝と書簡の遣り取りをしながら進めてきた。張青と孫二娘の闇塩への関与は確実だ。 役割が見えてこないのが侯健だった。李袞によると身辺の警戒は相当なものだと言う。これも李袞に張らせた。...
Water Margin (9)
3.替天行道 1110 年 5 月 梁山泊を候補として上げてきたのは林冲だ。林冲の拠点移設という案に宋江は全面的な賛意を示した。柴進と秦明との連携という案については、まだ考えを示していない。 林冲は、地理的な条件から梁山泊を挙げただけだ。梁山泊の詳細な調査には、戴宗が当った。 梁山泊。済州の梁山湖の中央にある小島。水という天然の強力な防壁を持つ。賊徒の巣になっている。宋軍が何度か討伐に乗り出しているが、湖水に阻まれたという形で退いている。 鄆城の宋江の屋敷と目と鼻の先と言っていい。それでも、宋江の勢威は届いていない。 梁山泊という名前を聞いた時、宋江は苦笑しながら言った。 「近くにあるもの程見えないというのはあることなのだな」...
Water Margin (8)
石秀は、清々しい気持ちで歩いていた。辞めてしまえばこんなものか。一軍の将に憧れた。それで武挙(武官任用試験)を受けて軍に入った。配属されたのは、楊戩の軍だった。 下級将校として楊戩の軍に入った。軍功を上げて、将軍になってやる。そう思った。そこで見たのは、目を覆うような腐敗だった。楊戩の軍が実戦に出ることはなかった。昇進は、賂の量で決まる。そういう世界だ。 開封府に暮していると、それなりの物が見えてきた。政事も腐敗と堕落を極めている。 帝は、道楽に耽っている。宰相の蔡京は、新法を悪用して金の流れを自分に集めている。蔡京に流れた金は開封府に流れ出る。開封府は芸術に溢れた壮麗な都だが、石秀にはそれら全てが虚飾に見える。 いつまでもこんなことが続く筈も無いのだ。開封府の繁栄は、地方の疲弊によってもたらされている。...
January 2009
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Water Margin (7)
1110 年 2 月 今夜も月が明るい。林冲は思いに耽っている。二竜山の体制はかなり変った。 秦明によるところが大きい。昨年の七月と九月。二回攻撃を受けた。凌ぎきった。七月の攻撃は山塞を背に対峙した。一度もぶつかること無く、秦明は退いた。隙を見せなかった。秦明も隙を見せなかった。九月の攻撃は秦明の誘いに乗せられた。雷横が討たれた。雷横は秦明の弩兵に追いこまれ、分断され、五百で秦明の騎馬隊二千全部とぶつかった。雷横は自ら殿軍を務め、死んだ。 雷横は死んだが、その騎馬隊に殆ど犠牲は出ていない。雷横は一人で二千を止めた。鬼神のように駆け、馬を斬られてからは自分の足で跳躍して馬上の敵と戦い続けた。 まるで空を翔ぶ虎のようだった。騎馬隊の劉唐の言葉。劉唐は、一人で二千と戦う雷横を見ていた。以来、雷横の麾下だった兵は死んだ雷横のことを挿翅虎と呼んでいる。...
Water Margin (6)
1109 年 9 月 楊志は粘り強く調査を続けた。まず抗州に入り、そこの塩の流れを見た。これはあまり成果を上げられなかった。李俊を張った。あまり李俊の屋敷に人の流れは無い。李立と童威という男が主に出入りをしているが、この二人はなかなか動きを掴ませない。 これでは埒が開かない。李俊と宋江の繋がり。そこに何か端緒を掴めないか。思い付きだった。自分が李俊なら、宋江なら。そう考える。 開封府、五丈河、済州、鄆城の宋江の屋敷。済州に何かある。青州、密州、済州、南京応天府。李袞を使った。済州を経由する物流が尋常で無いほど多い。恐らく、済州を塩が流れている。済州を直接探ることはやめた。宋江を直接探るということになる。 南京応天府と済州の動きが気になった。南京応天府と不自然に流通が多い場所を探った。出てきた。江州。李俊は江州、南京応天府、済州というように宋江に塩を流している。...
Water Margin (5)
1109 年 6 月
北京大名府では戴宗も宋江に従って、聞達の屋敷に滞在していた。聞達、もともとは独立した盗賊の頭目。今では宋江の組織の一員。その辺りの宋江の手腕というのは凄まじいものがある。 もともと淮南の辺りに勢力を持っていた宋江が鄆城に移ってきたのは五年前。今では河南一帯にかなりの勢力を築いていた。もし、廬俊義と結ぶことが出来れば、その勢威は河北に及ぶことになるだろう。 そして、その勢力拡大に宋江の人望と手腕以上に貢献したのが、闇の塩の道だ。青州の道と江南からの道。今では宋江と李俊は一心同体。 しかし、その塩の道にも綻びが見えはじめた。柴進と秦明。四月、二竜山が秦明の攻撃を受けた。秦明の青州軍は全軍六千の内、四千が出てきた。寡兵だが、騎馬隊を多く抱える関勝はまず野戦に出た。これまでの攻撃は野戦で全て跳ね返していた。...
Water Margin (4)
1109 年 3 月 鄆城の宋江の屋敷を自ら尋ねるのは、実はこれが初めてだと気付いた。石勇を経由した書簡のやり取りで済ませることが殆んどだ。ここに来たのも宋江からの呼び出された時だけだ。 屋敷には侯健が居た。江州で仕立屋をやっている。宋江と同年であったはずだ。その正体は済州と江州の道の繋ぎである。つまり李俊と宋江の繋ぎである。 「侯健殿ではありませんか。鄆城にまでいらっしゃるというのは、また何用でございましょう」 「晁蓋の手の者が李俊殿と宋江殿の繋がり探っている気配がある。そういう話を宋江殿に届けに来たのよ」 「ともすると、李袞ですか。林冲などもその動きを気にしております」 「そうだ。これまでとはまるで違った動きをしている。見ると宋江殿と李俊殿に何か道が無いか、そういうこを探っておるな。かつてより遥かに手強くなったな。誰かが後ろに付いているとしか思えないな」...
Water Margin (3)
2.Thunderbolt 1109 年 2 月 青州、二竜山、夜。宋江からこの二竜山を託されて以来、林冲は二竜山からあまり動かなかった。塩の道については指示だけを出す。実際に動くのは朱武や曹正。二竜山の軍については関勝が掌握している。その下で雷横が騎馬隊を、朱仝が歩兵を纏めている。軍は騎馬隊が千二百、歩兵が千五百。かなり騎馬隊が多い。三回、青州軍の攻撃を受けた。全て跳ね返している。犠牲も殆ど出ていない。 その防衛戦の指揮も関勝に任せた。林冲は武術が苦手だ。槍はなんとか人並みに使うことが出来る。他はからきし。それだけが戦では無い。だが、自分が出る幕も無いだろう。 林冲は情報の分析と指示を専らにしている。自分で間諜を持っている。石勇が時遷の情報も運んでくる。朱武なども独自に情報を集めている。居室で朱武と話し込む事も多い。朱武とは親しい間柄だと思っている。...
Water Margin (2)
1108 年 11 月 外では雨が降り注いでいる。楊志は、禁軍府内の自室で渡された書類を読んでいた。楊志の軍内での職位は上級の将校ということになっている。だから禁軍府に自室を持っている。一兵たりとも兵を指揮したことの無い将校。 楊志は間諜だった。晁蓋将軍の直属である。 書類は主に南の情勢についてだった。南は塩の他に茶の闇の流れが大きい。茶は塩よりも私営の流通が多い。そして江南など役人の腐敗が中央に負けず劣らず酷い。結果として闇にかなりのものが出回っている。 これらの南の闇塩闇茶に大きな力を持っているのが掲陽嶺の李俊であろうと考えられていたが、細かい物や人の流れについては判っていないことが多かった。...
Water Margin (1)
1.Kaifeng Midnight 1108 年 9 月 夕刻、秋の空。東京開封府。まるで魔術の都。戴宗はこの都市が正直あまり好きではない。宋の国都。永済渠と通済渠の結節点。水上運行の一代根拠地。どこからこれだけの人が湧いてくるのか。うんざりするほどの人の数。外城のさらに外にも広がる街並み。 歩く。馬に乗ることはあまり無かった。というより、単に自分の足で歩き、走るのが好きなのだ。走る速さで人に負けたことは無い。普通に歩いていても、並みの人間の小走りよりは速い。 生まれは南の江州だった。牢役人をしながら、つまらない小遣い稼ぎをしていた。それがどこでどう宋江の目に止まったのかは分からない。気付けば、宋江の配下だった。 あの頃の宋江は淮水の辺りを根拠地にしていた。今は北に力を持っている。李俊辺りと何か取引をしたのかもしれないが、細かい事情は知らない。 ...