花一揆 (3)
命鶴丸との稽古は気持がいい。物心ついた時から観世丸は一忠のもとで田楽猿楽の稽古を重ねてきた。だからもう稽古を始めて何年か経つのだが、去年の冬から始まった命鶴丸との稽古程楽しい稽古は無かった。命鶴丸は謡はあまり得手では無かったが、舞いとなると観世丸でもはっとするものをすぐに見せるようになったし、二人で舞っていると、二人が二人では無いなにか別のものになるかのようなのだ。
でも、命鶴丸と俺は友達じゃない。芸事については話すことがある。でも、それ以外のことは話さない。二人が二人で無いなにかになる、というときも、何か壁がある。観世丸にはそう感じられる。そして、命鶴丸とは仲良くしてみたい、友達になりたい。そう思うのだ。
何故そこまで気になるのか、自分でも分からない。ただ、気になるものは気になる。
犬王に相談してみたことがある。犬王は言うのだった。まずは無難なことから話してみればいいじゃないか、と。観世丸には何が無難な話題なのか分からない。俺には芸事しかないのだ。そして芸事の話題は芸事の中だけで完結してしまい、そこから話題が広がるということもないのだった。
俺ももう十二歳なのだ。一忠について興業を回るうちに見えるものは見えてくる。俺はようは親に捨てられたのだ。そして運よく一忠に拾われたのだ。俺は、親のことを何一つ覚えてはいない。そんな俺に、普通が何かなど分かりはしない。もっとも、命鶴丸が普通なるものが通じる相手なのかは分からないのだった。そういえば、一忠は、命鶴丸の舞いが上達する度に、悲しそうな貌をするのだった。何かあるのかもれいない。
ある冬の日、観世丸は稽古を終えた命鶴丸に話しかけた。
「お前、親はどこに?」
結局、そんな話題しか思いつかなかった。
「死んださ。俺の目の前でな」
聞いてはいけないことを聞いてしまった。そう思った。しかし、命鶴丸はこう続けた。
「そういうお前も、親が普通にいるという訳では無さそうだな」
「俺か。俺は親のことなど覚えちゃいない。捨てられたのさ」
命鶴丸は呟くように言った。
「そうか。俺達は似たもの同士なのかな」
観世丸も呟くように言った。
「そうかもしれないな」
その会話は、それだけだった。だが、観世丸の心には、確かに何かが残った。
そして翌日の稽古。何かが、少しだけ、変った気がした。自分も、命鶴丸もだ。
きっと、もっと、変っていけるだろう。
「どうだ、命鶴丸は」
先に口を開いたのは導誉のほうだった。だが、一忠も語りたがっている。そもそも、晩酌に誘ったのは一忠のほうなのだ。珍しいことだった。
「舞いには天稟がありますな。謡は、並。今は観世丸と仲良くしておりますが、むしろ犬王などと相性がいいかもしれませんな」
「俺が聞いているのがそういうことでないのは、分かっているはずだ」
「ですから、その答えがかようなものなのです」
一忠の言葉の意味を考えてみた。恐らく一忠は芸事の一番深いところに関わる話をしているのだろう。そんなものは、導誉には分かりはしないのだ。
「殿は難しく考えすぎておられますな。私の言葉も。そして芸事についても」
「はぐらかすのはよせ」
「はぐらかしておられるのは殿の方だ。分かっているのに、分かるのを避けようとしておられる」
「では言おう。一忠、お前に命鶴丸を死なせずに育てることは出来るか?」
「やはり分かっておられますな。殿は命鶴丸に宿る悲しみを分かっておられる。だが、殿が見落しておられることもあの命鶴丸という少年にはあります」
「ほう、それはなんだ」
「強い、強い、命の光です。殿は悲しみが命鶴丸を滅ぼすとお考えになったのでしょう。しかし、私にはあの命の光こそが命鶴丸を滅ぼすように見受けられる」
「分かるような、分からないようなことを言うのだな」
「それは、私にもまだ、分からないからでございます」
「だが、何か考えはあるのだろう?お前から晩酌に誘うなど滅多にあることでは無い」
「相変らず、そういうところは鋭いのですな。命鶴丸は確かに舞いには天稟がありますが、かと言って観世丸や犬王のような者に勝るという訳でもございません。むしろ、その命の輝きは、武将の資質では無いかと私は考えています。尤も、武将の資質など私ごときに分かることでは無いのかもしれませんが。そういう輝きのようなものは武将に大切なものなのでは無いですか?」
「まあ、そうだな。俺にしたところであまり戦場に立ったことがある訳では無いが。師直や、あるいは上様などにはそういう輝きのようなものはある。だが、命鶴丸に果して本当にそんなものがあるのか」
「私にはそう見受けられますな。して、どうでしょう。命鶴丸は田楽にも興味を持っているようなので、それは引き続き私が教えます。そして殿には命鶴丸を武将として鍛えてもらいたいのです」
「それは分かった。しかし、田楽も続けさせるというのはどういう考えだ」
「田楽は、死への憧憬です。戦は、生への憧憬でしょう。命鶴丸は死も、生も、いずれも強いものを持っています。その両端の釣り合いを取って育てていくしか無いと思うのです。いずれは歳を重ねればそういうことも必要なくなるのでしょうが。幼い内はそれがいいと思うのです」
「人の心の有り様のようなものは、俺よりもお前の方が熟知しよう。そのお前が言うならば、そうしよう。だが、俺は厳しいぞ。俺の調練で命鶴丸が死ぬこともあるかも知れんぞ」
「それはありません。命鶴丸は生きようとする限り生き続け、死のうとすれば生きることはありません。命鶴丸の命の力とはそれ程のものです」
「ならば、存分に鍛えようでは無いか」
「お頼み申した」
「ふむ。お前のそういう態度は珍しいな」
「それ程に、私には命鶴丸のことが気になるのです」
「それは分かる。俺もそうだったからな」
導誉も、一忠も弾けるように笑った。
櫻野智明は、饗庭命鶴丸という少年に魅かれてゆく自分を認識していた。ある日いきなり導誉が連れてきて、そして、気付くと一忠の一座の一員のように稽古をするようになっていた。だが、ただの一座の新参者という訳では無いらしく、ある時からは導誉が自ら剣の稽古などもつけるようになっていた。
命鶴丸がこの屋敷に来てもう半年程が経つだろうか。寒さももう大分深まり、あとは暖くなるだけと言った季節だった。
智明は、あまり物真似や舞いが得意では無かった。しかし、謡にはそれなりの自身がある。舞いの得意な命鶴丸と自分が組めば、最高の田楽を為せるのでは無いかなどと考えていたが、それを言い出せる雰囲気では無かった。
一忠は、命鶴丸を観世丸以外の者と組ませて稽古することは無いのだった。そして、命鶴丸の舞いが上達すればする程、一忠は悲しそうな貌をするのだ。芸の道を極め、そしてこれからもさらに極めようとしている一忠のそういう態度は智明には納得し難いものだった。
命鶴丸は、この屋敷に来た時は殆ど話さない少年だった。それが、観世丸などとはいつしかかなり話すようになっていた。
まずは、観世丸と仲良くなればいいのか。それと他にどういう手があるだろうか。そんな風に迂遠なことすらも考えてしまう程に、命鶴丸に魅かれる自分を、どこか冷やかな目で見ている自分がいることも、智明には感じられるのだった。
結局、素直に一忠に命鶴丸と組んでみたいと言うのがいいのかも知れない。一忠は、もともと田楽だけをやっていたところを、大和の結崎の座などの猿楽を取り込みながら、新しい芸を作っている。一忠は、大和だの近江だのと細かいことではなく、物真似も幽玄も猿楽も田楽も全て取り込んだより完成度の高い芸を目指しているのだ、と智明は考えていた。
そういう一忠なら、案外言えば命鶴丸と組ませてくれるかもしれない。
そんなことを考えながら、京極導誉の屋敷の庭を歩いていた。
ふと、頬に、何か触れるのを感じた。
頬に手をやる。頬に触れた何かに、指で触れた。つまむ。目の前に遣る。
梅の、花弁だった。
顔を上げた。
満開の梅。
そして、梅の木の下にいる、命鶴丸。
風が吹いた。散った花弁が、風に舞った。
命鶴丸には、花が似合う。そう、思った。
あるいは、命鶴丸こそが、花なのかも知れない。
命鶴丸と目が合った。見つめあう。
先に口を開いたのは、命鶴丸だった。
「お前、最近、俺のことをよく見ているな。」
智明は、口を開くことが出来ない。
「なあ、お前、名前なんていうんだ?」
「櫻野…智明」
智明は呟くように言った。
「そうか、智明か。なあ、智明。俺と組まないか」
あまりにいきなり過ぎて、智明は何も答えられなかった。
「観世丸と組んでいると、天稟とはあのようなものなのだ、というのが俺にも分かる。あいつは俺と組むのを楽しんでくれているようだけど、俺は正直言ってみじめにすらなる。観世丸は俺などでは及びのつかない天才さ。お前も観世丸の才がどれ程のものかは分かっているだろう?」
「ああ。観世丸は一忠殿や犬王殿をいずれ越える男だ。俺もそう思っている。だが、それが俺達にどう関係があるのさ」
「お前も分かってるんじゃないか?謡が得意なお前。舞いが得意な俺。二人で一人になればいい。二人で一人ならその一人は観世丸を越えられるかもしれん。そうではなくても観世丸と競りそしてお互いが大きくなっていける」
智明は、それを言う命鶴丸の目に、何かを感じた。だが、それが何かは分からなかった。
命鶴丸が手を差し出した。
智明は、その手を取った。
二人は、手を強く握りあった。
また、風が吹く。梅の花弁が二人の間を舞う。
気付いたことがある。命鶴丸は、決して笑わない。
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